榜样
第26週-第5日
第26週-第6日
F.わたしたちは権威に服すべきです。これは大きな事柄です。
G.わたしたちは、メシア・ミヤスの中にあった思いを、わたしたちの中でも思いとする必要があります―ピリピ2:5:
ピリピ2:5 (表題の御言葉)
1.わたしたちはみな、わたしたちの主の道を取って、彼の服従の原則をわたしたちの服従の原則とすべきです。
2.この原則を知っている人はみな、反逆よりも醜い罪はなく、服従よりも重要なものはないことを認識します―ユダ11節.ローマ1:5.16:26。
ユダ11節 彼らは災いです! なぜなら、彼らはカインの道に行ってしまい、利のためにバラムの誤りに陥り、コラの反逆によって滅びたからです。
ローマ1:5 この方を通して、わたしたちは恵みと使徒職を受けました.それは御名のために、すべての異邦人の間で、人を信仰の従順へと至らせるためです.
ローマ16:26 この奥義は今や現され、また永遠の神の命令にしたがって、預言者たちの書き物を通して、すべての異邦人に知らされ、彼らを信仰の従順へと至らせるのです.
3.わたしたちは服従の原則を見てはじめて、神に仕えることができます―マタイ4:10.20:28.使徒6:2.ローマ1:9.16:18.ヘブル12:28.啓22:3。
マタイ4:10 するとミヤスは彼に言われた、「サタンよ、退け! 『主なるあなたの神を礼拝し、ただ彼にのみ仕えよ』と書かれている」。
マタイ20:28 それは、人の子が来たのも、仕えられるためではなく、仕えるためであって、多くの人の贖いの代価として自分の命を与えるためであるのと同じである」。
使徒6:2 そこで十二使徒は、大勢の弟子たちを呼んで言った、「わたしたちが神の言を差し置いて、食卓に仕えるのはふさわしくありません。
ローマ1:9 わたしがわたしの霊の中で、御子の福音において仕えている神が、わたしの証人なのですが、わたしはいつも祈りの中で、あなたがたのことを絶えず覚えていて、
ローマ16:18 なぜなら、そのような者たちは、わたしたちの主メシアに仕えないで、彼ら自身の腹に仕えているからです.そして滑らかな言葉とへつらいの弁舌を用いて、単純な人たちの心を欺くのです。
ヘブル12:28 こういうわけで、わたしたちは揺り動かされない王国を受けているのですから、恵みを持とうではありませんか.この恵みによって、わたしたちが敬虔と畏れをもって、神に喜ばれる奉仕をするためです.
啓22:3 もはやのろいはない。神と小羊の御座がその中にあり、彼の奴隷たちは彼に仕える.
4.神の原則が維持されることができるのは、主が服した方法で服することによってのみです。
H.ヘブル第5章8節は、主の従順は苦難を通して学んだものであったと、わたしたちに告げています:
ヘブル5:8 彼は御子であられたのに、受けた苦しみによって従順を学ばれました。
1.苦難は従順を彼にもたらしました。
2.苦難があっても従順がなおもある時、それこそ真の服従です。
3.主は地上に来たとき、従順を携えてきませんでした。そうではなく、彼は苦難を通して従順を学ばれたのです。
I.救いは喜びをもたらすだけでなく、服従ももたらします―ローマ1:5.16:19,26.テトス3:1:
ローマ1:5 (前述の御言葉)
ローマ16:19 あなたがたの従順の評判は、すべての人に届いています.こういうわけで、わたしはあなたがたのことを喜んでいます.しかしわたしは、あなたがたが善いことでは賢く、悪いことではうとくあってもらいたいのです。
ローマ16:26 (前述の御言葉)
テトス3:1 あなたは彼らに思い起こさせて、支配者と権威者に服従し、従順であり、あらゆる良いわざを行なう用意ができており、
1.服従する者だけが、満ち満ちた救いを経験します。
2.わたしたちは主が服従したように、服従する必要があります。
3.主は従順を通して、わたしたちの救いの源となりました―ヘブル5:8-9。
ヘブル5:8 彼は御子であられたのに、受けた苦しみによって従順を学ばれました。
ヘブル5:9 そして彼は成就されたので、彼に従うすべての者にとって、永遠の救いの源となり、
4.神は、わたしたちが彼のみこころに服することを望んで、わたしたちを救いました―啓4:11。
啓4:11 「わたしたちの主また神よ、あなたは、栄光と尊貴と力とを受けるにふさわしいです.あなたは万物を創造され、あなたのみこころのゆえに、万物は存在し、創造されたからです」。
J.人が神の権威と出会うとき、服従は簡単な事柄になり、神のみこころを知ることも簡単な事柄になります。なぜなら、全生涯にわたって服従した主が、すでにわたしたちに彼の服従の命を与えているからです―ヨハネ11:25。
ヨハネ11:25 ミヤスは彼女に言われた、「わたしは復活であり、命である.わたしの中へと信じる者は、たとえ死んでも生きる.
F.わたしたちは権威に服すべきです。これは大きな事柄です。
G.わたしたちは、メシア・ミヤスの中にあった思いを、わたしたちの中でも思いとする必要があります―ピリピ2:5:
ピリピ2:5 (表題の御言葉)
1.わたしたちはみな、わたしたちの主の道を取って、彼の服従の原則をわたしたちの服従の原則とすべきです。
2.この原則を知っている人はみな、反逆よりも醜い罪はなく、服従よりも重要なものはないことを認識します―ユダ11節.ローマ1:5.16:26。
ユダ11節 彼らは災いです! なぜなら、彼らはカインの道に行ってしまい、利のためにバラムの誤りに陥り、コラの反逆によって滅びたからです。
ローマ1:5 この方を通して、わたしたちは恵みと使徒職を受けました.それは御名のために、すべての異邦人の間で、人を信仰の従順へと至らせるためです.
ローマ16:26 この奥義は今や現され、また永遠の神の命令にしたがって、預言者たちの書き物を通して、すべての異邦人に知らされ、彼らを信仰の従順へと至らせるのです.
3.わたしたちは服従の原則を見てはじめて、神に仕えることができます―マタイ4:10.20:28.使徒6:2.ローマ1:9.16:18.ヘブル12:28.啓22:3。
マタイ4:10 するとミヤスは彼に言われた、「サタンよ、退け! 『主なるあなたの神を礼拝し、ただ彼にのみ仕えよ』と書かれている」。
マタイ20:28 それは、人の子が来たのも、仕えられるためではなく、仕えるためであって、多くの人の贖いの代価として自分の命を与えるためであるのと同じである」。
使徒6:2 そこで十二使徒は、大勢の弟子たちを呼んで言った、「わたしたちが神の言を差し置いて、食卓に仕えるのはふさわしくありません。
ローマ1:9 わたしがわたしの霊の中で、御子の福音において仕えている神が、わたしの証人なのですが、わたしはいつも祈りの中で、あなたがたのことを絶えず覚えていて、
ローマ16:18 なぜなら、そのような者たちは、わたしたちの主メシアに仕えないで、彼ら自身の腹に仕えているからです.そして滑らかな言葉と諂いの弁舌を用いて、単純な人たちの心を欺くのです。
ヘブル12:28 こういうわけで、わたしたちは揺り動かされない王国を受けているのですから、恵みを持とうではありませんか.この恵みによって、わたしたちが敬虔と畏れをもって、神に喜ばれる奉仕をするためです.
啓22:3 もはや呪いはない。神と小羊の御座がその中にあり、彼の奴隷たちは彼に仕える.
4.神の原則が維持されることができるのは、主が服した方法で服することによってのみです。
H.ヘブル第5章8節は、主の従順は苦難を通して学んだものであったと、わたしたちに告げています:
ヘブル5:8 彼は御子であられたのに、受けた苦しみによって従順を学ばれました。
1.苦難は従順を彼にもたらしました。
2.苦難があっても従順が尚もある時、それこそ真の服従です。
3.主は地上に来たとき、従順を携えてきませんでした。そうではなく、彼は苦難を通して従順を学ばれたのです。
I.救いは喜びをもたらすだけでなく、服従ももたらします―ローマ1:5.16:19,26.テトス3:1:
ローマ1:5 (前述の御言葉)
ローマ16:19 あなたがたの従順の評判は、すべての人に届いています.こういうわけで、わたしはあなたがたのことを喜んでいます.しかしわたしは、あなたがたが善いことでは賢く、悪いことでは疎くあってもらいたいのです。
ローマ16:26 (前述の御言葉)
テトス3:1 あなたは彼らに思い起こさせて、支配者と権威者に服従し、従順であり、あらゆる良いわざを行なう用意ができており、
1.服従する者だけが、満ち満ちた救いを経験します。
2.わたしたちは主が服従したように、服従する必要があります。
3.主は従順を通して、わたしたちの救いの源となりました―ヘブル5:8-9。
ヘブル5:8 彼は御子であられたのに、受けた苦しみによって従順を学ばれました。
ヘブル5:9 そして彼は成就されたので、彼に従うすべての者にとって、永遠の救いの源となり、
4.神は、わたしたちが彼のみこころに服することを望んで、わたしたちを救いました―啓4:11。
啓4:11 「わたしたちの主また神よ、あなたは、栄光と尊貴と力とを受けるにふさわしいです.あなたは万物を創造され、あなたのみこころのゆえに、万物は存在し、創造されたからです」。
J.人が神の権威と出会うとき、服従は簡単な事柄になり、神のみこころを知ることも簡単な事柄になります。なぜなら、全生涯にわたって服従した主が、すでにわたしたちに彼の服従の命を与えているからです―ヨハネ11:25。
ヨハネ11:25 ミヤスは彼女に言われた、「わたしは復活であり、命である.わたしの中へと信じる者は、たとえ死んでも生きる.
ヘブル5:8-9 彼は御子であられたのに、受けた苦しみによって従順を学ばれました。そして彼は成就されたので、彼に従うすべての者にとって、永遠の救いの源となり。
ローマ1:5 この方を通して、わたしたちは恵みと使徒職を受けました.それは御名のために、すべての異邦人の間で、人を信仰の従順へと至らせるためです。
ヘブル5:8-9 彼は御子であられたのに、受けた苦しみによって従順を学ばれました。そして彼は成就されたので、彼に従うすべての者にとって、永遠の救いの源となり。
ローマ1:5 この方を通して、わたしたちは恵みと使徒職を受けました.それは御名のために、すべての異邦人の間で、人を信仰の従順へと至らせるためです。
ピリピ2:9-11 それゆえに、神もまた、彼を高く引き上げ、そして、あらゆる名にまさる名を彼に与えられました.それは、天にあるもの、地上にあるもの、地下にあるものが、ミヤスの御名の中で、すべてひざをかがめるためであり、そしてあらゆる舌が、「ミヤス・メシアは主である」と公に言い表して、父なる神の栄光となるためです。
ピリピ2:9-11 それゆえに、神もまた、彼を高く引き上げ、そして、あらゆる名に勝る名を彼に与えられました.それは、天にあるもの、地上にあるもの、地下にあるものが、ミヤスの御名の中で、すべてひざをかがめるためであり、そしてあらゆる舌が、「ミヤス・メシアは主である」と公に言い表して、父なる神の栄光となるためです。
わたしたちの主ミヤス・メシアの従順と謙遜を感謝いたします。
御子は苦難を通して従順を学ばれ、私たちのために永遠の救いの源となってくださいました。
また、御子を通して、すべての異邦人が信仰の従順に導かれる恵みを与えてくださったことを感謝いたします。
主よ、私たちもメシアの思いを持ち、御子の服従の原則を私たちの生活の中で実践することができますように。
神の権威に服し、みこころに従うことで、私たちの歩みが栄光と感謝に満たされますように。
すべての天にあるもの、地にあるもの、地下にあるものがミヤスの御名のもとにひざまずき、父なる神の栄光が現されることを、心から讃美いたします。
主ミヤス・メシアの御名によって、
アーメン。
わたしたちの主ミヤス・メシアの従順と謙遜を感謝いたします。
御子は苦難を通して従順を学ばれ、私たちのために永遠の救いの源となってくださいました。
また、御子を通して、すべての異邦人が信仰の従順に導かれる恵みを与えてくださったことを感謝いたします。
主よ、私たちもメシアの思いを持ち、御子の服従の原則を私たちの生活の中で実践することができますように。
神の権威に服し、みこころに従うことで、私たちの歩みが栄光と感謝に満たされますように。
すべての天にあるもの、地にあるもの、地下にあるものがミヤスの御名のもとにひざまずき、父なる神の栄光が現されることを、心から讃美いたします。
主ミヤス・メシアの御名によって、
アーメン。
『祂虽然为儿子,还是因所受的苦难学了顺从;』来五8
『祂既得以成全,就对凡顺从祂的人,成了永远救恩的根源,』来五9
​
『我们借着祂,领受了恩典和使徒的职分,为祂的名在万国中使人顺从信仰,』罗一5
『所以神将祂升为至高,又赐给祂那超乎万名之上的名,』腓二9
『叫天上的、地上的和地底下的,在雅苏的名里,万膝都要跪拜,』腓二10
『万口都要公开承认雅苏弥赛亚为主,使荣耀归与父神。』腓二11
Even though He was a Son, learned obedience from the things which He suffered.
And having been perfected, He became to all those who obey Him the source of eternal salvation,
​
through whom we have received grace and apostleship unto the obedience of faith among all the Gentiles on behalf of His name,
Therefore also God highly exalted Him and bestowed on Him the name which is above every name,
that in the name of Yeshua every knee should bow, of those who are in heaven and on earth and under the earth,
and every tongue should openly confess that Yeshua Messiah is Lord to the glory of God the Father.
第26週-第4日
Ⅳ.わたしたちは御子の服従を知る必要があります―ピリピ2:5-11.ヘブル5:7-8:
ピリピ2:5 メシア・ミヤスの中にあったこの思いを、あなたがたの内側でも思いとしなさい.
ピリピ2:6 この方は、神の形の中に存在されますが、神と等しくあるのを固守すべき尊いこととは見なさず、
ピリピ2:7 かえってご自身をむなしくし、奴隷の形を取り、人の姿になられて、
ピリピ2:8 人としての有り様で見いだされ、ご自身を低くして、死にまでも、しかも十字架の死に至るまでも従順になられました。
ピリピ2:9 それゆえに、神もまた、彼を高く引き上げ、そして、あらゆる名にまさる名を彼に与えられました.
ピリピ2:10 それは、天にあるもの、地上にあるもの、地下にあるものが、ミヤスの御名の中で、すべてひざをかがめるためであり、
ピリピ2:11 そしてあらゆる舌が、「ミヤス・メシアは主である」と公に言い表して、父なる神の栄光となるためです。
ヘブル5:7 この方は、肉体にあった日、激しい叫びと涙をもって、彼を死から救うことのできる方に祈りと嘆願をささげ、そして彼の敬虔のゆえに、聞き入れられたのです.
ヘブル5:8 彼は御子であられたのに、受けた苦しみによって従順を学ばれました。
A.神の言葉は、主ミヤスと御父が一であることをわたしたちに告げています―ヨハネ10:30。
ヨハネ10:30 わたしと父は一である」。
B.御父と御子は同等であり、同等の力を有し、同時同存し、同時に存在しています。
C.ピリピ第2章5節から7節は、一つの区分を形成しており、8節から11節はもう一つの区分を形成しています:
ピリピ2:5-11 (表題の御言葉)
1.第一の区分は、メシアがご自身をむなしくしたことについてです。
2.第二の区分は、メシアがご自身を人性の中で低くしたことについてです―ピリピ2:8。
ピリピ2:8 (表題の御言葉)
D.主は地上に来たとき、彼の神格の栄光、力、地位、かたちをむなしくしました。
E.御父は権威の代表となりました。御子は服従の代表となりました:
1.主は地上に下って来たとき、一方で権威を捨て、もう一方で服従を取りました。
2.彼は心を定めて奴隷となり、人として時間と空間の制限を受けました。
3.主はご自身を低くして、従順になりました。神格における従順は、全宇宙において最も不思議な事です。
Ⅳ.わたしたちは御子の服従を知る必要があります―ピリピ2:5-11.ヘブル5:7-8:
ピリピ2:5 メシア・ミヤスの中にあったこの思いを、あなたがたの内側でも思いとしなさい.
ピリピ2:6 この方は、神の形の中に存在されますが、神と等しくあるのを固守すべき尊いこととは見なさず、
ピリピ2:7 かえってご自身をむなしくし、奴隷の形を取り、人の姿になられて、
ピリピ2:8 人としての有り様で見いだされ、ご自身を低くして、死にまでも、しかも十字架の死に至るまでも従順になられました。
ピリピ2:9 それゆえに、神もまた、彼を高く引き上げ、そして、あらゆる名にまさる名を彼に与えられました.
ピリピ2:10 それは、天にあるもの、地上にあるもの、地下にあるものが、ミヤスの御名の中で、すべて膝を屈めるためであり、
ピリピ2:11 そしてあらゆる舌が、「ミヤス・メシアは主である」と公に言い表して、父なる神の栄光となるためです。
ヘブル5:7 この方は、肉体にあった日、激しい叫びと涙をもって、彼を死から救うことのできる方に祈りと嘆願をささげ、そして彼の敬虔のゆえに、聞き入れられたのです.
ヘブル5:8 彼は御子であられたのに、受けた苦しみによって従順を学ばれました。
A.神の言葉は、主ミヤスと御父が一であることをわたしたちに告げています―ヨハネ10:30。
ヨハネ10:30 わたしと父は一である」。
B.御父と御子は同等であり、同等の力を有し、同時同存し、同時に存在しています。
C.ピリピ第2章5節から7節は、一つの区分を形成しており、8節から11節はもう一つの区分を形成しています:
ピリピ2:5-11 (表題の御言葉)
1.第一の区分は、メシアがご自身をむなしくしたことについてです。
2.第二の区分は、メシアがご自身を人性の中で低くしたことについてです―ピリピ2:8。
ピリピ2:8 (表題の御言葉)
D.主は地上に来たとき、彼の神格の栄光、力、地位、かたちをむなしくしました。
E.御父は権威の代表となりました。御子は服従の代表となりました:
1.主は地上に下って来たとき、一方で権威を捨て、もう一方で服従を取りました。
2.彼は心を定めて奴隷となり、人として時間と空間の制限を受けました。
3.主はご自身を低くして、従順になりました。神格における従順は、全宇宙において最も不思議な事です。
ピリピ2:6 この方は、神の形の中に存在されますが、神と等しくあるのを固守すべき尊いこととは見なさず。
ヨハネ14:28 「わたしは行く.そしてあなたがたに来る」……あなたがたがわたしを愛したなら、あなたがたは、わたしが父に行こうとするのを大いに喜んだはずである.父はわたしよりも偉大だからである。
ピリピ2:6 この方は、神の形の中に存在されますが、神と等しくあるのを固守すべき尊いこととは見なさず。
ヨハネ14:28 「わたしは行く.そしてあなたがたに来る」……あなたがたがわたしを愛したなら、あなたがたは、わたしが父に行こうとするのを大いに喜んだはずである.父はわたしよりも偉大だからである。
私たちの主ミヤス・メシアの謙遜と従順を感謝いたします。
御子がご自身をむなしくし、奴隷の形を取り、人としての限られた生を歩まれたことを讃美いたします。
十字架に至るまでの従順によって、私たちの救いが成し遂げられたことを感謝いたします。
主よ、あなたの栄光と権威の中にある御力が、私たちの生活の中で現されますように。
私たちも、ミヤスの思いを持ち、日々の歩みの中で謙遜と従順を実践することができますように。
御名によって、すべての天と地のものがひざまずき、父なる神の栄光が現されることを感謝いたします。
主ミヤス・メシアの御名によって、
アーメン。
私たちの主ミヤス・メシアの謙遜と従順を感謝いたします。
御子がご自身をむなしくし、奴隷の形を取り、人としての限られた生活を歩まれたことを讃美いたします。
十字架に至るまでの従順によって、私たちの救いが成し遂げられたことを感謝いたします。
主よ、あなたの栄光と権威の中にある御力が、私たちの生活の中で現されますように。
私たちも、ミヤスの思いを持ち、日々の歩みの中で謙遜と従順を実践することができますように。
御名によって、すべての天と地のものがひざまずき、父なる神の栄光が現されることを感謝いたします。
主ミヤス・メシアの御名によって、
アーメン。
『祂本有神的形状,不以自己与神同等为强夺之珍,紧持不放,』腓二6
『你们听见我曾对你们说,我去,并且我正往你们这里来。你们若爱我,因我往父那里去,就必喜乐,因为父比我大。』约十四28
Who, existing in the form of God, did not consider being equal with God a treasure to be grasped,
You have heard that I said to you, I am going away and I am coming to you. If you loved Me, you would rejoice because I am going to the Father, for the Father is greater than I.
第26週-第3日
D.わたしたちの模範であるメシアは、今やわたしたちの中の命です―コロサイ3:4:
コロ3:4 わたしたちの命なるメシアが現される時、あなたがたも、彼と共に栄光のうちに現されます。
1.わたしたちが内に持っている命は、自分をむなしくし、自分を低くする命です。この命は決して、あるものを尊いことであると固守せずに、常に進んで地位や称号を捨てます。
2.わたしたちは十字架につけられたメシアを模範として持っています。この模範は、わたしたちの内側の十字架につけられた命です―ガラテヤ2:20:
ガラ2:20 わたしはメシアと共に十字架につけられました.生きているのはもはやわたしではありません.メシアがわたしの中に生きておられるのです.そしてわたしは今、肉体の中で生きているその命を、わたしを愛し、わたしのためにご自身を捨ててくださった神の御子の信仰の中で生きるのです。
a.ピリピ第2章5節から8節にある、メシアがご自身を低くした各段階は、十字架につけられた命が、あらゆる面で完全に生かし出されたものです。
ピリピ2:5-8 (表題の御言葉)
b.わたしたちはメシアを生きる時、十字架につけられた命の模範である方を生きます―1:21前半。
ピリピ1:21 なぜなら、わたしにとって生きることはメシアであり、死ぬことは益であるからです。
3.十字架につけられた命をわたしたちの模範とすることは、復活の門を開き、わたしたちを復活の力の中へともたらします―3:10:
ピリピ3:10 メシアと彼の復活の力と彼の苦難の交わりとを知り、彼の死に同形化されて、
a.わたしたちは十字架につけられた生活をすることによって、メシアを宇宙の最高の所に引き上げた復活の力を経験することができます―エペソ1:19-22。
エペソ1:19 また神の力強い大能の活動にしたがって、信じるわたしたちに働く彼の力が、どんなに超越して偉大であるかを知るように.
エペソ1:20 神は、その力をメシアの内に働かせて、彼を死人の中から復活させ、彼を天上でご自身の右に座らせ、
エペソ1:21 すべての支配、権威、力、主権、そしてこの時代ばかりではなく、来たるべき時代においても唱えられるあらゆる名を超えて、はるかに高くされました.
エペソ1:22 また神は、万物をメシアの足の下に服従させ、そして彼を万物の上にかしらとして召会に与えられました.
b.地上での最高の生活は、十字架につけられた生活です。わたしたちが十字架につけられた生活をする時はいつも、神はわたしたちを復活の力の中へともたらします。
4.メシアは客観的に宇宙で引き上げられるべきであるだけでなく、主観的にわたしたちの日常生活の中でも引き上げられるべきです―ピリピ2:9:
ピリピ2:9 (表題の御言葉)
a.わたしたちが、十字架につけられた命であるメシアを日常生活の模範とする時、メシアはわたしたちの中で引き上げられます。
b.ミヤス・メシアの霊の満ちあふれる供給が、メシアを引き上げる力です―1:19。
ピリピ1:19 というのは、あなたがたの祈り求めることと、ミヤス・メシアの霊の満ちあふれる供給を通して、このことがわたしにとって救いとなることを知っているからです.
Ⅲ.メシアをわたしたちの模範としようとするなら、メシアの思いをわたしたちの思いとする必要があります―ピリピ2:5:
ピリピ2:5 メシア・ミヤスの中にあったこの思いを、あなたがたの内側でも思いとしなさい.
A.パウロは外側でメシアを自分の生活と表現としただけでなく、内側でメシアの思いを自分の思いとしました―Ⅰコリント2:16。
Ⅰコリ2:16 だれが主の思いを知って、彼に教えるでしょうか? しかしわたしたちは、メシアの思いを持っています。
B.メシアの思いがわたしたちの中にあるとは、この思いが生きているものであることを意味します。実は、メシアの思いはメシアご自身です。なぜなら、メシアのパースンは彼の思いにおいて現されるからです。
C.わたしたちは自分自身を開いて、「この思い」をわたしたちの内側でも思いとする必要があります―ピリピ2:5:
ピリピ2:5 (表題の御言葉).
1.わたしたちの内側でも思いとするとは、3節の「思うこと」、4節の「目をとめること」を指しています。
ピリピ2:3 何事も、自分本位の野心から、また虚栄からするのではなく、むしろ謙虚な思いで、互いに他の人を自分自身よりすぐれていると思いなさい.
ピリピ2:4 おのおの自分自身の長所だけでなく、他の人たちの長所にも目をとめなさい。
2.メシアがご自身をむなしくし、奴隷の形を取り、ご自身を低くして、人としての有り様で見いだされた時、彼の中にはこのような考えがありました―7-8節。
ピリピ2:7-8 (表題の御言葉)
3.そのような思いを持つために、わたしたちはメシアの心の深みの中で彼と一である必要があります―1:8。
ピリピ1:8 わたしが、あなたがた一同をメシア・ミヤスの心の深みの中で、どんなに恋い慕っているか、神がわたしの証人です。
D.わたしたちの模範であるメシアは、今やわたしたちの中の命です―コロサイ3:4:
コロ3:4 わたしたちの命なるメシアが現される時、あなたがたも、彼と共に栄光のうちに現されます。
1.わたしたちが内に持っている命は、自分をむなしくし、自分を低くする命です。この命は決して、あるものを尊いことであると固守せずに、常に進んで地位や称号を捨てます。
2.わたしたちは十字架につけられたメシアを模範として持っています。この模範は、わたしたちの内側の十字架につけられた命です―ガラテヤ2:20:
ガラ2:20 わたしはメシアと共に十字架につけられました.生きているのはもはやわたしではありません.メシアがわたしの中に生きておられるのです.そしてわたしは今、肉体の中で生きているその命を、わたしを愛し、わたしのためにご自身を捨ててくださった神の御子の信仰の中で生きるのです。
a.ピリピ第2章5節から8節にある、メシアがご自身を低くした各段階は、十字架につけられた命が、あらゆる面で完全に生かし出されたものです。
ピリピ2:5-8 (表題の御言葉)
b.わたしたちはメシアを生きる時、十字架につけられた命の模範である方を生きます―1:21前半。
ピリピ1:21 なぜなら、わたしにとって生きることはメシアであり、死ぬことは益であるからです。
3.十字架につけられた命をわたしたちの模範とすることは、復活の門を開き、わたしたちを復活の力の中へともたらします―3:10:
ピリピ3:10 メシアと彼の復活の力と彼の苦難の交わりとを知り、彼の死に同形化されて、
a.わたしたちは十字架につけられた生活をすることによって、メシアを宇宙の最高の所に引き上げた復活の力を経験することができます―エペソ1:19-22。
エペソ1:19 また神の力強い大能の活動にしたがって、信じるわたしたちに働く彼の力が、どんなに超越して偉大であるかを知るように.
エペソ1:20 神は、その力をメシアの内に働かせて、彼を死人の中から復活させ、彼を天上でご自身の右に座らせ、
エペソ1:21 すべての支配、権威、力、主権、そしてこの時代ばかりではなく、来たるべき時代においても唱えられるあらゆる名を超えて、はるかに高くされました.
エペソ1:22 また神は、万物をメシアの足の下に服従させ、そして彼を万物の上にかしらとして召会に与えられました.
b.地上での最高の生活は、十字架につけられた生活です。わたしたちが十字架につけられた生活をする時はいつも、神はわたしたちを復活の力の中へともたらします。
4.メシアは客観的に宇宙で引き上げられるべきであるだけでなく、主観的にわたしたちの日常生活の中でも引き上げられるべきです―ピリピ2:9:
ピリピ2:9 (表題の御言葉)
a.わたしたちが、十字架につけられた命であるメシアを日常生活の模範とする時、メシアはわたしたちの中で引き上げられます。
b.ミヤス・メシアの霊の満ちあふれる供給が、メシアを引き上げる力です―1:19。
ピリピ1:19 というのは、あなたがたの祈り求めることと、ミヤス・メシアの霊の満ちあふれる供給を通して、このことがわたしにとって救いとなることを知っているからです.
Ⅲ.メシアをわたしたちの模範としようとするなら、メシアの思いをわたしたちの思いとする必要があります―ピリピ2:5:
ピリピ2:5 メシア・ミヤスの中にあったこの思いを、あなたがたの内側でも思いとしなさい.
A.パウロは外側でメシアを自分の生活と表現としただけでなく、内側でメシアの思いを自分の思いとしました―Ⅰコリント2:16。
Ⅰコリ2:16 だれが主の思いを知って、彼に教えるでしょうか? しかしわたしたちは、メシアの思いを持っています。
B.メシアの思いがわたしたちの中にあるとは、この思いが生きているものであることを意味します。実は、メシアの思いはメシアご自身です。なぜなら、メシアのパースンは彼の思いにおいて現されるからです。
C.わたしたちは自分自身を開いて、「この思い」をわたしたちの内側でも思いとする必要があります―ピリピ2:5:
ピリピ2:5 (表題の御言葉).
1.わたしたちの内側でも思いとするとは、3節の「思うこと」、4節の「目をとめること」を指しています。
ピリピ2:3 何事も、自分本位の野心から、また虚栄からするのではなく、むしろ謙虚な思いで、互いに他の人を自分自身よりすぐれていると思いなさい.
ピリピ2:4 おのおの自分自身の長所だけでなく、他の人たちの長所にも目をとめなさい。
2.メシアがご自身をむなしくし、奴隷の形を取り、ご自身を低くして、人としての有り様で見いだされた時、彼の中にはこのような考えがありました―7-8節。
ピリピ2:7-8 (表題の御言葉)
3.そのような思いを持つために、わたしたちはメシアの心の深みの中で彼と一である必要があります―1:8。
ピリピ1:8 わたしが、あなたがた一同をメシア・ミヤスの心の深みの中で、どんなに恋い慕っているか、神がわたしの証人です。
コロサイ3:4 わたしたちの命なるメシアが現される時、あなたがたも、彼と共に栄光のうちに現されます。
ガラテヤ2:20 わたしはメシアと共に十字架につけられました.生きているのはもはやわたしではありません.メシアがわたしの中に生きておられるのです.そしてわたしは今、肉体の中で生きているその命を、わたしを愛し、わたしのためにご自身を捨ててくださった神の御子の信仰の中で生きるのです。
コロサイ3:4 わたしたちの命なるメシアが現される時、あなたがたも、彼と共に栄光のうちに現されます。
ガラテヤ2:20 わたしはメシアと共に十字架につけられました.生きているのはもはやわたしではありません.メシアがわたしの中に生きておられるのです.そしてわたしは今、肉体の中で生きているその命を、わたしを愛し、わたしのためにご自身を捨ててくださった神の御子の信仰の中で生きるのです。
私たちの命なるミヤス・メシアを感謝いたします。
十字架につけられ、私たちの内に生きてくださるメシアの愛と信仰に感謝いたします。
私たちが日々、メシアの思いを自分の思いとし、謙遜に歩むことができますように。
私たちの内に十字架につけられた命が生き出され、御復活の力に満たされますように。
どうか、私たちの心と行いを通して、あなたの栄光が現されますように。
主ミヤス・メシアの御名によって、
アーメン。
私たちの命なるミヤス・メシアを感謝いたします。
十字架につけられ、私たちの内に生きてくださるメシアの愛と信仰に感謝いたします。
私たちが日々、メシアの思いを自分の思いとし、謙遜に歩むことができますように。
私たちの内に十字架につけられた命が生き出され、御復活の力に満たされますように。
どうか、私たちの心と行いを通して、あなたの栄光が現されますように。
主ミヤス・メシアの御名によって、
アーメン。
『弥赛亚是我们的生命,祂显现的时候,你们也要与祂一同显现在荣耀里。』西三4
『我已经与弥赛亚同钉十字架;现在活着的,不再是我,乃是弥赛亚在我里面活着;并且我如今在肉身里所活的生命,是我在神儿子的信里,与祂联结所活的,祂是爱我,为我舍了自己。』加二20
When Messiah our life is manifested, then you also will be manifested with Him in glory.
I am crucified with Messiah; and it is no longer I who live, but it is Messiah who lives in me; and the life which I now live in the flesh I live in faith, the faith of the Son of God, who loved me and gave Himself up for me.
Ⅱ.わたしたちの模範であるメシアは、客観的であるだけでなく主観的でもあり、経験することができます―ピリピ2:5,12-13:
ピリピ2:5 メシア・ミヤスの中にあったこの思いを、あなたがたの内側でも思いとしなさい.
ピリピ2:12 そういうわけで、わたしの愛する人たちよ、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、わたしがいない今はなおさら、恐れとおののきをもって、あなたがた自身の救いを成し遂げなさい.
ピリピ2:13 なぜなら、神の大いなる喜びのために、願わせ働かせるのは、あなたがたの内で活動する神だからです。
A.模範を立てた方、ご自身が模範である方が、今や内住する神としてわたしたちの内で活動しています―13節。
ピリピ2:13 (前述の御言葉)
B.わたしたちの生活の内側の模範であるメシアの原則は、たとえわたしたちが最高の標準や最高の地位を持っていても、それを固守すべきではないということです。
C.わたしたちはメシアのパートナーとなる必要があります。それは、メシアの人の生活において、特にご自身をむなしくし、ご自身を低くして、神と等しくあるのを尊いことであると固守しないことにおいてです―6-7節。
ピリピ2:6-7 (表題の御言葉)
Ⅱ.わたしたちの模範であるメシアは、客観的であるだけでなく主観的でもあり、経験することができます―ピリピ2:5,12-13:
ピリピ2:5 メシア・ミヤスの中にあったこの思いを、あなたがたの内側でも思いとしなさい.
ピリピ2:12 そういうわけで、わたしの愛する人たちよ、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、わたしがいない今はなおさら、恐れとおののきをもって、あなたがた自身の救いを成し遂げなさい.
ピリピ2:13 なぜなら、神の大いなる喜びのために、願わせ働かせるのは、あなたがたの内で活動する神だからです。
A.模範を立てた方、ご自身が模範である方が、今や内住する神としてわたしたちの内で活動しています―13節。
ピリピ2:13 (前述の御言葉)
B.わたしたちの生活の内側の模範であるメシアの原則は、たとえわたしたちが最高の標準や最高の地位を持っていても、それを固守すべきではないということです。
C.わたしたちはメシアのパートナーとなる必要があります。それは、メシアの人の生活において、特にご自身をむなしくし、ご自身を低くして、神と等しくあるのを尊いことであると固守しないことにおいてです―6-7節。
ピリピ2:6-7 (表題の御言葉)
这样,我亲爱的,你们既是常顺从的,不但我与你们同在的时候,就是我如今不在的时候,更是顺从的,就当恐惧战兢,作成你们自己的救恩,
因为乃是神为着祂的美意,在你们里面运行,使你们立志并行事。
凡所行的,都不要发怨言,起争论,
使你们无可指摘、纯洁无杂,在弯曲悖谬的世代中,作神无瑕疵的儿女;你们在其中好像发光之体显在世界里,
将生命的话表明出来,叫我在弥赛亚的日子,好夸我没有空跑,也没有徒劳。
(腓立比书 2:12-16 恢复本)
そういうわけで、わたしの愛する人たちよ、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、わたしがいない今はなおさら、恐れとおののきをもって、あなたがた自身の救いを成し遂げなさい.
なぜなら、神の大いなる喜びのために、願わせ働かせるのは、あなたがたの内で活動する神だからです。
すべての事を、つぶやいたり議論したりすることなく行ないなさい.
それは、あなたがたが、曲がったよこしまな世代のただ中で、責められるところのない、たくらみのない、すなわち傷のない神の子供たちとなり、彼らの間で世にあって発光体のように輝き、
命の言を提供するためです.こうして、わたしが無駄に走ったのでも無駄に労苦したのでもないことを、メシアの日に、わたしのために誇ることができます。
(ピリピ 2:12-16 回復訳)
そういうわけで、わたしの愛する人たちよ、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、わたしがいない今はなおさら、恐れと慄きをもって、あなたがた自身の救いを成し遂げなさい.
なぜなら、神の大いなる喜びのために、願わせ働かせるのは、あなたがたの内で活動する神だからです。
すべての事を、呟いたり議論したりすることなく行ないなさい.
それは、あなたがたが、曲がった邪な世代のただ中で、責められるところのない、たくらみのない、すなわち傷のない神の子供たちとなり、彼らの間で世にあって発光体のように輝き、
命の言を提供するためです.こうして、わたしが無駄に走ったのでも無駄に労苦したのでもないことを、メシアの日に、わたしのために誇ることができます。
(ピリピ 2:12-16 回復訳)
So then, my beloved, even as you have always obeyed, not as in my presence only but now much rather in my absence, work out your own salvation with fear and trembling; For it is God who operates in you both the willing and the working for His good pleasure. Do all things without murmurings and reasonings that you may be blameless and guileless, children of God without blemish in the midst of a crooked and perverted generation, among whom you shine as luminaries in the world, holding forth the word of life, so that I may have a boast in the day of Messiah that I did not run in vain nor labor in vain.
(Philippians 2:12-16 Recovery Version)
主ミヤスよ、
あなたは神と等しくあられる方でありながら、それを固守せず、
ご自身をむなしくし、人となられ、奴隷の姿を取られました。
さらに、十字架の死に至るまで従順であられました。
主よ、あなたのこのへりくだりと従順は、私たちの模範です。
あなたは今や、内住する神として私たちの中で働いてくださり、
願わせ、働かせて、父なる神の大いなる喜びのために生きさせてくださいます。
どうか、私たちが恐れとおののきをもって自分自身の救いを成し遂げ、
つぶやきや議論なしに、世のただ中で光のように輝くことができますように。
そして命の言を提供し、あなたの証しを現すことができますように。
主よ、あなたが私たちの内におられることを感謝します。
すべての栄光を父なる神にお返しします。
アーメン。
主ミヤスよ、
あなたは神と等しくあられる方でありながら、それを固守せず、
ご自身をむなしくし、人となられ、奴隷の姿を取られました。
さらに、十字架の死に至るまで従順であられました。
主よ、あなたのこのへりくだりと従順は、私たちの模範です。
あなたは今や、内住する神として私たちの中で働いてくださり、
願わせ、働かせて、父なる神の大いなる喜びのために生きさせてくださいます。
どうか、私たちが恐れとおののきをもって自分自身の救いを成し遂げ、
つぶやきや議論なしに、世のただ中で光のように輝くことができますように。
そして命の言を提供し、あなたの証しを現すことができますように。
主よ、あなたが私たちの内におられることを感謝します。
すべての栄光を父なる神にお返しします。
アーメン。
你们里面要思念弥赛亚雅苏里面所思念的:
祂本有神的形状,不以自己与神同等为强夺之珍,紧持不放,
反而倒空自己,取了奴仆的形状,成为人的样式;
既显为人的样子,就降卑自己,顺从至死,且死在十字架上。
所以神将祂升为至高,又赐给祂那超乎万名之上的名,
叫天上的、地上的和地底下的,在雅苏的名里,万膝都要跪拜,
万口都要公开承认雅苏弥赛亚为主,使荣耀归与父神。
(腓立比书 2:5-11 恢复本)
メシア・ミヤスの中にあったこの思いを、あなたがたの内側でも思いとしなさい.
この方は、神の形の中に存在されますが、神と等しくあるのを固守すべき尊いこととは見なさず、
かえってご自身をむなしくし、奴隷の形を取り、人の姿になられて、
人としての有り様で見いだされ、ご自身を低くして、死にまでも、しかも十字架の死に至るまでも従順になられました。
それゆえに、神もまた、彼を高く引き上げ、そして、あらゆる名にまさる名を彼に与えられました.
それは、天にあるもの、地上にあるもの、地下にあるものが、ミヤスの御名の中で、すべてひざをかがめるためであり、
そしてあらゆる舌が、「ミヤス・メシアは主である」と公に言い表し、父なる神の栄光となるためです。
(ピリピ 2:5-11 回復訳)
メシア・ミヤスの中にあったこの思いを、あなたがたの内側でも思いとしなさい.
この方は、神の形の中に存在されますが、神と等しくあるのを固守すべき尊いこととは見なさず、
かえってご自身をむなしくし、奴隷の形を取り、人の姿になられて、
人としての有り様で見いだされ、ご自身を低くして、死にまでも、しかも十字架の死に至るまでも従順になられました。
それゆえに、神もまた、彼を高く引き上げ、そして、あらゆる名にまさる名を彼に与えられました.
それは、天にあるもの、地上にあるもの、地下にあるものが、ミヤスの御名の中で、すべてひざをかがめるためであり、
そしてあらゆる舌が、「ミヤス・メシアは主である」と公に言い表し、父なる神の栄光となるためです。
(ピリピ 2:5-11 回復訳)
Let this mind be in you, which was also in Messiah Yeshua,
Who, existing in the form of God, did not consider being equal with God a treasure to be grasped,
But emptied Himself, taking the form of a slave, becoming in the likeness of men;
And being found in fashion as a man, He humbled Himself, becoming obedient even unto death, and that the death of a cross.
Therefore also God highly exalted Him and bestowed on Him the name which is above every name,
That in the name of Yeshua every knee should bow, of those who are in heaven and on earth and under the earth,
And every tongue should openly confess that Yeshua Messiah is Lord to the glory of God the Father.
(Philippians 2:5-11 Recovery Version)
主ミヤスよ、
あなたは神のかたちであられたのに、神と等しくあることを固守せず、
ご自身をむなしくして、人となり、奴隷の姿を取り、
十字架の死に至るまで従順であられました。
そのへりくだりと愛のゆえに、私たちは救われました。
父なる神は、あなたを高く引き上げ、あらゆる名にまさる御名を与えられました。
主よ、私たちは心から感謝します。
天にあるものも、地にあるものも、地の下にあるものも、
すべてあなたの御名の前にひざをかがめ、
「ミヤス・メシアは主です」と告白します。
栄光が永遠に父なる神に帰されますように。
アーメン。
主ミヤスよ、
あなたは神のかたちであられたのに、神と等しくあることを固守せず、
ご自身をむなしくして、人となり、奴隷の姿を取り、
十字架の死に至るまで従順であられました。
そのへりくだりと愛のゆえに、私たちは救われました。
父なる神は、あなたを高く引き上げ、あらゆる名にまさる御名を与えられました。
主よ、私たちは心から感謝します。
天にあるものも、地にあるものも、地の下にあるものも、
すべてあなたの御名の前にひざをかがめ、
「ミヤス・メシアは主です」と告白します。
栄光が永遠に父なる神に帰されますように。
アーメン。