第26週-第5日
第26週-第6日


F.わたしたちは権威に服すべきです。これは大きな事柄です。
G.わたしたちは、メシア・ミヤスの中にあった思いを、わたしたちの中でも思いとする必要があります―ピリピ2:5:
ピリピ2:5 (表題の御言葉)
1.わたしたちはみな、わたしたちの主の道を取って、彼の服従の原則をわたしたちの服従の原則とすべきです。
2.この原則を知っている人はみな、反逆よりも醜い罪はなく、服従よりも重要なものはないことを認識します―ユダ11節.ローマ1:5.16:26。
ユダ11節 彼らは災いです! なぜなら、彼らはカインの道に行ってしまい、利のためにバラムの誤りに陥り、コラの反逆によって滅びたからです。
ローマ1:5 この方を通して、わたしたちは恵みと使徒職を受けました.それは御名のために、すべての異邦人の間で、人を信仰の従順へと至らせるためです.
ローマ16:26 この奥義は今や現され、また永遠の神の命令にしたがって、預言者たちの書き物を通して、すべての異邦人に知らされ、彼らを信仰の従順へと至らせるのです.
3.わたしたちは服従の原則を見てはじめて、神に仕えることができます―マタイ4:10.20:28.使徒6:2.ローマ1:9.16:18.ヘブル12:28.啓22:3。
マタイ4:10 するとミヤスは彼に言われた、「サタンよ、退け! 『主なるあなたの神を礼拝し、ただ彼にのみ仕えよ』と書かれている」。
マタイ20:28 それは、人の子が来たのも、仕えられるためではなく、仕えるためであって、多くの人の贖いの代価として自分の命を与えるためであるのと同じである」。
使徒6:2 そこで十二使徒は、大勢の弟子たちを呼んで言った、「わたしたちが神の言を差し置いて、食卓に仕えるのはふさわしくありません。
ローマ1:9 わたしがわたしの霊の中で、御子の福音において仕えている神が、わたしの証人なのですが、わたしはいつも祈りの中で、あなたがたのことを絶えず覚えていて、
ローマ16:18 なぜなら、そのような者たちは、わたしたちの主メシアに仕えないで、彼ら自身の腹に仕えているからです.そして滑らかな言葉とへつらいの弁舌を用いて、単純な人たちの心を欺くのです。
ヘブル12:28 こういうわけで、わたしたちは揺り動かされない王国を受けているのですから、恵みを持とうではありませんか.この恵みによって、わたしたちが敬虔と畏れをもって、神に喜ばれる奉仕をするためです.
啓22:3 もはやのろいはない。神と小羊の御座がその中にあり、彼の奴隷たちは彼に仕える.
4.神の原則が維持されることができるのは、主が服した方法で服することによってのみです。
H.ヘブル第5章8節は、主の従順は苦難を通して学んだものであったと、わたしたちに告げています:
ヘブル5:8 彼は御子であられたのに、受けた苦しみによって従順を学ばれました。
1.苦難は従順を彼にもたらしました。
2.苦難があっても従順がなおもある時、それこそ真の服従です。
3.主は地上に来たとき、従順を携えてきませんでした。そうではなく、彼は苦難を通して従順を学ばれたのです。
I.救いは喜びをもたらすだけでなく、服従ももたらします―ローマ1:5.16:19,26.テトス3:1:
ローマ1:5 (前述の御言葉)
ローマ16:19 あなたがたの従順の評判は、すべての人に届いています.こういうわけで、わたしはあなたがたのことを喜んでいます.しかしわたしは、あなたがたが善いことでは賢く、悪いことではうとくあってもらいたいのです。
ローマ16:26 (前述の御言葉)
テトス3:1 あなたは彼らに思い起こさせて、支配者と権威者に服従し、従順であり、あらゆる良いわざを行なう用意ができており、
1.服従する者だけが、満ち満ちた救いを経験します。
2.わたしたちは主が服従したように、服従する必要があります。
3.主は従順を通して、わたしたちの救いの源となりました―ヘブル5:8-9。
ヘブル5:8 彼は御子であられたのに、受けた苦しみによって従順を学ばれました。
ヘブル5:9 そして彼は成就されたので、彼に従うすべての者にとって、永遠の救いの源となり、
4.神は、わたしたちが彼のみこころに服することを望んで、わたしたちを救いました―啓4:11。
啓4:11 「わたしたちの主また神よ、あなたは、栄光と尊貴と力とを受けるにふさわしいです.あなたは万物を創造され、あなたのみこころのゆえに、万物は存在し、創造されたからです」。
J.人が神の権威と出会うとき、服従は簡単な事柄になり、神のみこころを知ることも簡単な事柄になります。なぜなら、全生涯にわたって服従した主が、すでにわたしたちに彼の服従の命を与えているからです―ヨハネ11:25。
ヨハネ11:25 ミヤスは彼女に言われた、「わたしは復活であり、命である.わたしの中へと信じる者は、たとえ死んでも生きる.


F.わたしたちは権威けんい服すふくすべきです。これは大きなおおきな事柄ことがらです。
G.わたしたちは、メシア・ミヤスのなかにあった思いおもいを、わたしたちのなかでも思いおもいとする必要ひつようがあります―ピリピ2:5:
ピリピ2:5 (表題ひょうだい言葉ことば
いち.わたしたちはみな、わたしたちのしゅみち取ってとってかれ服従ふくじゅう原則げんそくをわたしたちの服従ふくじゅう原則げんそくとすべきです。
.この原則げんそく知ってしっているひとはみな、反逆はんぎゃくよりも醜いみにくいつみはなく、服従ふくじゅうよりも重要なじゅうようなものはないことを認識にんしきします―ユダゆだ11せつローマろーま1:5.16:26。
ユダゆだ11ふし かれらは災いわざわいです! なぜなら、かれらはカインのみち行っていってしまい、のためにバラムの誤りあやまり陥りおちいりコラこら反逆はんぎゃくによって滅びたほろびたからです。
ローマろーま1:5 このかた通してとおして、わたしたちはめぐみと使徒しとしょく受けうけました.それは御名のために、すべての異邦いほうじんあいだで、ひと信仰しんこう従順じゅうじゅんへと至らいたらせるためです.
ローマろーま16:26 この奥義おうぎ今やいまや現さあらわされ、また永遠のえいえんのかみ命令めいれいにしたがって、預言よげんしゃたちの書き物かきもの通してとおして、すべての異邦いほうじん知らしらされ、かれらを信仰しんこう従順じゅうじゅんへと至らいたらせるのです.
さん.わたしたちは服従ふくじゅう原則げんそく見てみてはじめて、かみ仕えるつかえることができます―マタイ4:10.20:28.使徒しと6:2.ローマろーま1:9.16:18.ヘブル12:28.ひらく22:3。
マタイ4:10 するとミヤスはかれ言わいわれた、「サタンよ、退けしりぞけ! 『主なるしゅなるあなたのかみ礼拝れいはいし、ただかれにのみ仕えよつかえよ』と書かかかれている」。
マタイ20:28 それは、ひとが来たのも、仕えつかえられるためではなく、仕えるつかえるためであって、多くおおくひと贖いあがない代価だいかとして自分じぶんいのち与えるあたえるためであるのと同じであるおなじである」。
使徒しと6:2 そこで十二使徒しとは、大勢おおぜい弟子でしたちを呼んでよんで言ったいった、「わたしたちがかみことば差し置いてさしおいて食卓しょくたく仕えるつかえるのはふさわしくありません。
ローマろーま1:9 わたしがわたしのれいなかで、御子みこ福音ふくいんにおいて仕えてつかえているかみが、わたしの証人しょうにんなのですが、わたしはいつも祈りいのりなかで、あなたがたのことを絶えずたえず覚えておぼえていて、
ローマろーま16:18 なぜなら、そのようなものたちは、わたしたちのしゅメシアに仕えつかえないで、かれ自身じしんはら仕えてつかえているからです.そして滑らかななめらかな言葉ことばへつらいの弁舌べんぜつ用いてもちいて単純なたんじゅんなひとたちのこころ欺くあざむくのです。
ヘブル12:28 こういうわけで、わたしたちは揺り動かさゆりうごかされない王国おうこく受けてうけているのですから、恵みを持とうもとうではありませんか.この恵みによって、わたしたちが敬虔けいけん畏れおそれをもって、かみ喜ばよろこばれる奉仕ほうしをするためです.
ひらく22:3 もはやのろいはない。かみひつじ御座みざがそのなかにあり、かれ奴隷どれいたちはかれ仕えるつかえる
よんかみ原則げんそく維持いじされることができるのは、しゅ服したふくした方法ほうほう服するふくすることによってのみです。
H.エイチヘブルだい5しょう8せつは、しゅ従順じゅうじゅん苦難くなん通してとおして学んだまなんだものであったと、わたしたちに告げてつげています:
ヘブル5:8 かれ御子みこであられたのに、受けたうけた苦しみくるしみによって従順じゅうじゅん学ばまなばれました。
いち苦難くなん従順じゅうじゅんかれにもたらしました。
苦難くなんがあっても従順じゅうじゅんなおもあるとき、それこそしん服従ふくじゅうです。
さんしゅ地上ちじょうに来たとき、従順じゅうじゅん携えてたずさえてきませんでした。そうではなく、かれ苦難くなん通してとおして従順じゅうじゅん学ばまなばれたのです。
I.救いすくい喜びよろこびをもたらすだけでなく、服従ふくじゅうももたらします―ローマろーま1:5.16:19,26.テトス3:1:
ローマろーま1:5 (前述ぜんじゅつ言葉ことば
ローマろーま16:19 あなたがたの従順じゅうじゅん評判ひょうばんは、すべてのひと届いてとどいています.こういうわけで、わたしはあなたがたのことを喜んでよろこんでいます.しかしわたしは、あなたがたが善いよいことでは賢くかしこく悪いわるいことではうとくあってもらいたいのです。
ローマろーま16:26 (前述ぜんじゅつ言葉ことば
テトス3:1 あなたはかれらに思い起こさおもいおこさせて、支配しはいしゃ権威けんいしゃ服従ふくじゅうし、従順でありじゅうじゅんであり、あらゆる良いよいわざを行なうおこなう用意よういができており、
いち服従ふくじゅうするものだけが、満ち満ちたみちみちた救いすくい経験けいけんします。
.わたしたちはしゅ服従ふくじゅうしたように、服従ふくじゅうする必要ひつようがあります。
さんしゅ従順じゅうじゅん通してとおして、わたしたちの救いすくいみなもととなりました―ヘブル5:8-9。
ヘブル5:8 かれ御子みこであられたのに、受けたうけた苦しみくるしみによって従順じゅうじゅん学ばまなばれました。
ヘブル5:9 そしてかれ成就じょうじゅされたので、かれ従うしたがうすべてのものにとって、永遠のえいえんの救いすくいみなもととなり、
よんかみは、わたしたちがかれのみこころに服するふくすることを望んでのぞんで、わたしたちを救いすくいました―ひらく4:11。
ひらく4:11 「わたしたちのしゅまたかみよ、あなたは、栄光えいこうそんちからとを受けるうけるにふさわしいです.あなたは万物ばんぶつ創造そうぞうされ、あなたのみこころのゆえに、万物ばんぶつ存在そんざいし、創造そうぞうされたからです」。
J.ひとかみ権威けんい出会うであうとき、服従ふくじゅう簡単なかんたんな事柄ことがらになり、かみのみこころを知るしることも簡単なかんたんな事柄ことがらになります。なぜなら、ぜん生涯しょうがいにわたって服従ふくじゅうしたしゅが、すでにわたしたちにかれ服従ふくじゅういのち与えてあたえているからです―ヨハネ11:25。
ヨハネ11:25 ミヤスは彼女かのじょ言わいわれた、「わたしは復活ふっかつであり、いのちである.わたしのなかへと信じるしんじるものは、たとえ死んでしんで生きるいきる


ヘブル5:8-9 彼は御子であられたのに、受けた苦しみによって従順を学ばれました。そして彼は成就されたので、彼に従うすべての者にとって、永遠の救いの源となり。
ローマ1:5 この方を通して、わたしたちは恵みと使徒職を受けました.それは御名のために、すべての異邦人の間で、人を信仰の従順へと至らせるためです。

ヘブル5:8-9 かれ御子みこであられたのに、受けたうけた苦しみくるしみによって従順じゅうじゅん学ばまなばれました。そしてかれ成就じょうじゅされたので、かれ従うしたがうすべてのものにとって、永遠のえいえんの救いすくいみなもととなり。
ローマろーま1:5 このかた通してとおして、わたしたちは恵みと使徒しとしょく受けうけました.それは御名のために、すべての異邦いほうじんあいだで、ひと信仰しんこう従順じゅうじゅんへと至らいたらせるためです。


ピリピ2:9-11 それゆえに、神もまた、彼を高く引き上げ、そして、あらゆる名にまさる名を彼に与えられました.それは、天にあるもの、地上にあるもの、地下にあるものが、ミヤスの御名の中で、すべてひざをかがめるためであり、そしてあらゆる舌が、「ミヤス・メシアは主である」と公に言い表して、父なる神の栄光となるためです。

ピリピ2:9-11 それゆえに、かみもまた、かれ高くたかく引き上げひきあげ、そして、あらゆるまさかれ与えあたえられました.それは、てんにあるもの、地上ちじょうにあるもの、地下ちかにあるものが、ミヤスの御名のなかで、すべてひざをかがめるためであり、そしてあらゆるしたが、「ミヤス・メシアは主であるしゅである」とおおやけ言い表していいあらわしてちちなるかみ栄光えいこうとなるためです。

わたしたちの主ミヤス・メシアの従順と謙遜を感謝いたします。
御子は苦難を通して従順を学ばれ、私たちのために永遠の救いの源となってくださいました。
また、御子を通して、すべての異邦人が信仰の従順に導かれる恵みを与えてくださったことを感謝いたします。

主よ、私たちもメシアの思いを持ち、御子の服従の原則を私たちの生活の中で実践することができますように。
神の権威に服し、みこころに従うことで、私たちの歩みが栄光と感謝に満たされますように。
すべての天にあるもの、地にあるもの、地下にあるものがミヤスの御名のもとにひざまずき、父なる神の栄光が現されることを、心から讃美いたします。

主ミヤス・メシアの御名によって、
アーメン。


わたしたちのしゅミヤス・メシアの従順じゅうじゅん謙遜けんそん感謝かんしゃいたします。
苦難くなん通してとおして従順じゅうじゅん学ばまなばれ、わたしたちのために永遠のえいえんの救いすくいみなもととなってくださいました。
また、御子みこ通してとおして、すべての異邦いほうじん信仰しんこう従順じゅうじゅん導かみちびかれる恵みを与えてあたえてくださったことを感謝かんしゃいたします。

しゅよ、わたしたちもメシアの思いおもい持ちもち御子みこ服従ふくじゅう原則げんそくわたしたちの生活せいかつなか実践じっせんすることができますように。
かみ権威けんい服しふくし、みこころに従うしたがうことで、わたしたちの歩みあゆみ栄光えいこう感謝かんしゃ満たさみたされますように。
すべてのてんにあるもの、にあるもの、地下ちかにあるものがミヤスの御名のもとにひざまずき、ちちなるかみ栄光えいこう現さあらわされることを、心からこころから讃美いたします。

しゅミヤス・メシアの御名によって、
アーメン。


『祂虽然为儿子,还是因所受的苦难学了顺从;』来五8
『祂既得以成全,就对凡顺从祂的人,成了永远救恩的根源,』来五9

『我们借着祂,领受了恩典和使徒的职分,为祂的名在万国中使人顺从信仰,』罗一5

『所以神将祂升为至高,又赐给祂那超乎万名之上的名,』腓二9
『叫天上的、地上的和地底下的,在雅苏的名里,万膝都要跪拜,』腓二10
『万口都要公开承认雅苏弥赛亚为主,使荣耀归与父神。』腓二11

Even though He was a Son, learned obedience from the things which He suffered.
And having been perfected, He became to all those who obey Him the source of eternal salvation,

through whom we have received grace and apostleship unto the obedience of faith among all the Gentiles on behalf of His name,

Therefore also God highly exalted Him and bestowed on Him the name which is above every name,
that in the name of Yeshua every knee should bow, of those who are in heaven and on earth and under the earth,
and every tongue should openly confess that Yeshua Messiah is Lord to the glory of God the Father.


第26週-第4日


Ⅳ.わたしたちは御子の服従を知る必要があります―ピリピ2:5-11.ヘブル5:7-8:
ピリピ2:5 メシア・ミヤスの中にあったこの思いを、あなたがたの内側でも思いとしなさい.
ピリピ2:6 この方は、神の形の中に存在されますが、神と等しくあるのを固守すべき尊いこととは見なさず、
ピリピ2:7 かえってご自身をむなしくし、奴隷の形を取り、人の姿になられて、
ピリピ2:8 人としての有り様で見いだされ、ご自身を低くして、死にまでも、しかも十字架の死に至るまでも従順になられました。
ピリピ2:9 それゆえに、神もまた、彼を高く引き上げ、そして、あらゆる名にまさる名を彼に与えられました.
ピリピ2:10 それは、天にあるもの、地上にあるもの、地下にあるものが、ミヤスの御名の中で、すべてひざをかがめるためであり、
ピリピ2:11 そしてあらゆる舌が、「ミヤス・メシアは主である」と公に言い表して、父なる神の栄光となるためです。
ヘブル5:7 この方は、肉体にあった日、激しい叫びと涙をもって、彼を死から救うことのできる方に祈りと嘆願をささげ、そして彼の敬虔のゆえに、聞き入れられたのです.
ヘブル5:8 彼は御子であられたのに、受けた苦しみによって従順を学ばれました。
A.神の言葉は、主ミヤスと御父が一であることをわたしたちに告げています―ヨハネ10:30。
ヨハネ10:30 わたしと父は一である」。
B.御父と御子は同等であり、同等の力を有し、同時同存し、同時に存在しています。
C.ピリピ第2章5節から7節は、一つの区分を形成しており、8節から11節はもう一つの区分を形成しています:
ピリピ2:5-11 (表題の御言葉)
1.第一の区分は、メシアがご自身をむなしくしたことについてです。
2.第二の区分は、メシアがご自身を人性の中で低くしたことについてです―ピリピ2:8。
ピリピ2:8 (表題の御言葉)
D.主は地上に来たとき、彼の神格の栄光、力、地位、かたちをむなしくしました。
E.御父は権威の代表となりました。御子は服従の代表となりました:
1.主は地上に下って来たとき、一方で権威を捨て、もう一方で服従を取りました。
2.彼は心を定めて奴隷となり、人として時間と空間の制限を受けました。
3.主はご自身を低くして、従順になりました。神格における従順は、全宇宙において最も不思議な事です。


Ⅳ.わたしたちは御子みこ服従ふくじゅう知るしる必要ひつようがあります―ピリピ2:5-11.ヘブル5:7-8:
ピリピ2:5 メシア・ミヤスのなかにあったこの思いおもいを、あなたがたの内側うちがわでも思いおもいとしなさい.
ピリピ2:6 このかたは、かみかたちなか存在そんざいされますが、かみ等しくひとしくあるのを固守こしゅすべきたっといこととは見なさみなさず、
ピリピ2:7 かえってご自身じしんをむなしくし、奴隷どれいかたち取りとりひと姿すがたになられて、
ピリピ2:8 ひととしての有り様ありさま見いださみいだされ、ご自身じしん低くひくくして、にまでも、しかも十字架じゅうじか至るいたるまでも従順にじゅうじゅんになられました。
ピリピ2:9 それゆえに、かみもまた、かれ高くたかく引き上げひきあげ、そして、あらゆるにまさるかれ与えあたえられました.
ピリピ2:10 それは、てんにあるもの、地上ちじょうにあるもの、地下ちかにあるものが、ミヤスの御名のなかで、すべてひざかがめるためであり、
ピリピ2:11 そしてあらゆるしたが、「ミヤス・メシアはしゅである」とおおやけ言い表していいあらわしてちちなるかみ栄光えいこうとなるためです。
ヘブル5:7 このかたは、肉体にくたいにあった激しいはげしい叫びさけびなみだをもって、かれから救うすくうことのできるかた祈りいのり嘆願たんがんをささげ、そしてかれ敬虔けいけんのゆえに、聞き入れききいれられたのです.
ヘブル5:8 かれ御子みこであられたのに、受けたうけた苦しみくるしみによって従順じゅうじゅん学ばまなばれました。
A.かみ言葉ことばは、しゅミヤスとちちいちであることをわたしたちに告げてつげています―ヨハネ10:30。
ヨハネ10:30 わたしとちちいちである」。
B.ちち同等でありどうとうであり同等のどうとうのちから有しゆうし同時どうじ同存どうぞんし、同時にどうじに存在そんざいしています。
C.ピリピだい2しょう5せつから7せつは、いちつの区分くぶん形成けいせいしており、8せつから11ふしはもうひとつの区分くぶん形成けいせいしています:
ピリピ2:5-11 (表題ひょうだい言葉ことば
いちだいいち区分くぶんは、メシアがご自身じしんをむなしくしたことについてです。
だい区分くぶんは、メシアがご自身じしんじんせいなか低くひくくしたことについてです―ピリピ2:8。
ピリピ2:8 (表題ひょうだい言葉ことば
D.しゅ地上ちじょうに来たとき、かれ神格しんかく栄光えいこうちから地位ちい、かたちをむなしくしました。
E.ちち権威けんい代表だいひょうとなりました。服従ふくじゅう代表だいひょうとなりました:
いちしゅ地上ちじょう下ってくだって来たきたとき、一方いっぽう権威けんい捨てすて、もう一方いっぽう服従ふくじゅう取りとりました。
かれこころ定めてさだめて奴隷どれいとなり、ひととして時間じかん空間くうかん制限せいげん受けうけました。
さんしゅはご自身じしん低くひくくして、従順にじゅうじゅんになりました。神格しんかくにおける従順じゅうじゅんは、ぜん宇宙うちゅうにおいて最ももっとも不思議なふしぎなことです。


ピリピ2:6 この方は、神の形の中に存在されますが、神と等しくあるのを固守すべき尊いこととは見なさず。
ヨハネ14:28 「わたしは行く.そしてあなたがたに来る」……あなたがたがわたしを愛したなら、あなたがたは、わたしが父に行こうとするのを大いに喜んだはずである.父はわたしよりも偉大だからである。

ピリピ2:6 このかたは、かみかたちなか存在そんざいされますが、かみ等しくひとしくあるのを固守こしゅすべきたっといこととは見なさみなさず。
ヨハネ14:28 「わたしは行くいく.そしてあなたがたに来る」……あなたがたがわたしを愛したあいしたなら、あなたがたは、わたしがちち行こういこうとするのを大いにおおいに喜んだよろこんだはずである.ちちはわたしよりも偉大だいだいだからである。

私たちの主ミヤス・メシアの謙遜と従順を感謝いたします。
御子がご自身をむなしくし、奴隷の形を取り、人としての限られた生を歩まれたことを讃美いたします。
十字架に至るまでの従順によって、私たちの救いが成し遂げられたことを感謝いたします。

主よ、あなたの栄光と権威の中にある御力が、私たちの生活の中で現されますように。
私たちも、ミヤスの思いを持ち、日々の歩みの中で謙遜と従順を実践することができますように。
御名によって、すべての天と地のものがひざまずき、父なる神の栄光が現されることを感謝いたします。

主ミヤス・メシアの御名によって、
アーメン。


わたしたちのしゅミヤス・メシアの謙遜けんそん従順じゅうじゅん感謝かんしゃいたします。
御子みこがご自身じしんをむなしくし、奴隷どれいかたち取りとりひととしての限らかぎられたせいかつ歩まあゆまれたことを讃美いたします。
十字架じゅうじか至るいたるまでの従順じゅうじゅんによって、わたしたちの救いすくい成しなし遂げとげられたことを感謝かんしゃいたします。

しゅよ、あなたの栄光えいこう権威けんいなかにあるちからが、わたしたちの生活せいかつなか現さあらわされますように。
わたしたちも、ミヤスの思いおもい持ちもち日々ひび歩みあゆみなか謙遜けんそん従順じゅうじゅん実践じっせんすることができますように。
御名によって、すべてのてんのものがひざまずき、ちちなるかみ栄光えいこう現さあらわされることを感謝かんしゃいたします。

しゅミヤス・メシアの御名によって、
アーメン。


『祂本有神的形状,不以自己与神同等为强夺之珍,紧持不放,』腓二6
『你们听见我曾对你们说,我去,并且我正往你们这里来。你们若爱我,因我往父那里去,就必喜乐,因为父比我大。』约十四28

Who, existing in the form of God, did not consider being equal with God a treasure to be grasped,
You have heard that I said to you, I am going away and I am coming to you. If you loved Me, you would rejoice because I am going to the Father, for the Father is greater than I.


第26週-第3日


D.わたしたちの模範であるメシアは、今やわたしたちの中の命です―コロサイ3:4:
コロ3:4 わたしたちの命なるメシアが現される時、あなたがたも、彼と共に栄光のうちに現されます。
1.わたしたちが内に持っている命は、自分をむなしくし、自分を低くする命です。この命は決して、あるものを尊いことであると固守せずに、常に進んで地位や称号を捨てます。
2.わたしたちは十字架につけられたメシアを模範として持っています。この模範は、わたしたちの内側の十字架につけられた命です―ガラテヤ2:20:
ガラ2:20 わたしはメシアと共に十字架につけられました.生きているのはもはやわたしではありません.メシアがわたしの中に生きておられるのです.そしてわたしは今、肉体の中で生きているその命を、わたしを愛し、わたしのためにご自身を捨ててくださった神の御子の信仰の中で生きるのです。
a.ピリピ第2章5節から8節にある、メシアがご自身を低くした各段階は、十字架につけられた命が、あらゆる面で完全に生かし出されたものです。
ピリピ2:5-8 (表題の御言葉)
b.わたしたちはメシアを生きる時、十字架につけられた命の模範である方を生きます―1:21前半。
ピリピ1:21 なぜなら、わたしにとって生きることはメシアであり、死ぬことは益であるからです。
3.十字架につけられた命をわたしたちの模範とすることは、復活の門を開き、わたしたちを復活の力の中へともたらします―3:10:
ピリピ3:10 メシアと彼の復活の力と彼の苦難の交わりとを知り、彼の死に同形化されて、
a.わたしたちは十字架につけられた生活をすることによって、メシアを宇宙の最高の所に引き上げた復活の力を経験することができます―エペソ1:19-22。
エペソ1:19 また神の力強い大能の活動にしたがって、信じるわたしたちに働く彼の力が、どんなに超越して偉大であるかを知るように.
エペソ1:20 神は、その力をメシアの内に働かせて、彼を死人の中から復活させ、彼を天上でご自身の右に座らせ、
エペソ1:21 すべての支配、権威、力、主権、そしてこの時代ばかりではなく、来たるべき時代においても唱えられるあらゆる名を超えて、はるかに高くされました.
エペソ1:22 また神は、万物をメシアの足の下に服従させ、そして彼を万物の上にかしらとして召会に与えられました.
b.地上での最高の生活は、十字架につけられた生活です。わたしたちが十字架につけられた生活をする時はいつも、神はわたしたちを復活の力の中へともたらします。
4.メシアは客観的に宇宙で引き上げられるべきであるだけでなく、主観的にわたしたちの日常生活の中でも引き上げられるべきです―ピリピ2:9:
ピリピ2:9 (表題の御言葉)
a.わたしたちが、十字架につけられた命であるメシアを日常生活の模範とする時、メシアはわたしたちの中で引き上げられます。
b.ミヤス・メシアの霊の満ちあふれる供給が、メシアを引き上げる力です―1:19。
ピリピ1:19 というのは、あなたがたの祈り求めることと、ミヤス・メシアの霊の満ちあふれる供給を通して、このことがわたしにとって救いとなることを知っているからです.
Ⅲ.メシアをわたしたちの模範としようとするなら、メシアの思いをわたしたちの思いとする必要があります―ピリピ2:5:
ピリピ2:5 メシア・ミヤスの中にあったこの思いを、あなたがたの内側でも思いとしなさい.
A.パウロは外側でメシアを自分の生活と表現としただけでなく、内側でメシアの思いを自分の思いとしました―Ⅰコリント2:16。
Ⅰコリ2:16 だれが主の思いを知って、彼に教えるでしょうか? しかしわたしたちは、メシアの思いを持っています。
B.メシアの思いがわたしたちの中にあるとは、この思いが生きているものであることを意味します。実は、メシアの思いはメシアご自身です。なぜなら、メシアのパースンは彼の思いにおいて現されるからです。
C.わたしたちは自分自身を開いて、「この思い」をわたしたちの内側でも思いとする必要があります―ピリピ2:5:
ピリピ2:5 (表題の御言葉).
1.わたしたちの内側でも思いとするとは、3節の「思うこと」、4節の「目をとめること」を指しています。
ピリピ2:3 何事も、自分本位の野心から、また虚栄からするのではなく、むしろ謙虚な思いで、互いに他の人を自分自身よりすぐれていると思いなさい.
ピリピ2:4 おのおの自分自身の長所だけでなく、他の人たちの長所にも目をとめなさい。
2.メシアがご自身をむなしくし、奴隷の形を取り、ご自身を低くして、人としての有り様で見いだされた時、彼の中にはこのような考えがありました―7-8節。
ピリピ2:7-8 (表題の御言葉)
3.そのような思いを持つために、わたしたちはメシアの心の深みの中で彼と一である必要があります―1:8。
ピリピ1:8 わたしが、あなたがた一同をメシア・ミヤスの心の深みの中で、どんなに恋い慕っているか、神がわたしの証人です。


D.わたしたちの模範もはんであるメシアは、今やいまやわたしたちのなかいのちです―コロサイ3:4:
コロころ3:4 わたしたちのいのちなるメシアが現さあらわされるとき、あなたがたも、かれ共にともに栄光えいこうのうちに現さあらわされます。
いち.わたしたちがうち持ってもっているいのちは、自分じぶんをむなしくし、自分じぶん低くひくくするいのちです。このいのち決してけっして、あるものを尊いとうといことであると固守こしゅせずに、常につねに進んですすんで地位ちい称号しょうごう捨てすてます。
.わたしたちは十字架じゅうじかにつけられたメシアを模範もはんとして持ってもっています。この模範もはんは、わたしたちの内側うちがわ十字架じゅうじかにつけられたいのちです―ガラテヤ2:20:
ガラがら2:20 わたしはメシアと共にともに十字架じゅうじかにつけられました.生きていきているのはもはやわたしではありません.メシアがわたしのなか生きていきておられるのです.そしてわたしはいま肉体にくたいなか生きていきているそのいのちを、わたしを愛しあいし、わたしのためにご自身じしん捨ててすててくださったかみ御子みこ信仰しんこうなか生きるいきるのです。
a.ピリピだい2しょう5せつから8せつにある、メシアがご自身じしん低くひくくしたかく段階だんかいは、十字架じゅうじかにつけられたいのちが、あらゆるめん完全にかんぜんに生かしいかし出さだされたものです。
ピリピ2:5-8 (表題ひょうだい言葉ことば
b.わたしたちはメシアを生きるいきるとき十字架じゅうじかにつけられたいのち模範もはんであるかた生きいきます―1:21前半ぜんはん
ピリピ1:21 なぜなら、わたしにとって生きるいきることはメシアであり、死ぬしぬことはえきであるからです。
さん十字架じゅうじかにつけられたいのちをわたしたちの模範もはんとすることは、復活ふっかつもん開きひらき、わたしたちを復活ふっかつちからなかへともたらします―3:10:
ピリピ3:10 メシアとかれ復活ふっかつちからかれ苦難くなん交わりまじわりとを知りしりかれどうけいされて、
a.わたしたちは十字架じゅうじかにつけられた生活せいかつをすることによって、メシアを宇宙うちゅう最高のさいこうのところ引き上げたひきあげた復活ふっかつちから経験けいけんすることができます―エペソ1:19-22。
エペソ1:19 またかみ力強いちからづよい大能の活動かつどうにしたがって、信じるしんじるわたしたちに働くはたらくかれちからが、どんなに超越ちょうえつして偉大であるいだいであるかを知るしるように.
エペソ1:20 かみは、そのちからをメシアのうち働かはたらかせて、かれ死人しにんなかから復活ふっかつさせ、かれ天上てんじょうでご自身じしんみぎ座らすわらせ、
エペソ1:21 すべての支配しはい権威けんいちから主権しゅけん、そしてこの時代じだいばかりではなく、たるべき時代じだいにおいても唱えとなえられるあらゆる超えてこえて、はるかに高くたかくされました.
エペソ1:22 またかみは、万物ばんぶつをメシアのあしした服従ふくじゅうさせ、そしてかれ万物ばんぶつうえにかしらとしてしょうかい与えあたえられました.
b.地上ちじょうでの最高のさいこうの生活せいかつは、十字架じゅうじかにつけられた生活せいかつです。わたしたちが十字架じゅうじかにつけられた生活せいかつをするときはいつも、かみはわたしたちを復活ふっかつちからなかへともたらします。
よん.メシアは客観きゃっかん的にてきに宇宙うちゅう引き上げひきあげられるべきであるだけでなく、主観しゅかん的にてきにわたしたちの日常にちじょう生活せいかつなかでも引き上げひきあげられるべきです―ピリピ2:9:
ピリピ2:9 (表題ひょうだい言葉ことば
a.わたしたちが、十字架じゅうじかにつけられたいのちであるメシアを日常にちじょう生活せいかつ模範もはんとするとき、メシアはわたしたちのなか引き上げひきあげられます。
b.ミヤス・メシアのれい満ちみちあふれる供給きょうきゅうが、メシアを引き上げるひきあげるちからです―1:19。
ピリピ1:19 というのは、あなたがたの祈りいのり求めるもとめることと、ミヤス・メシアのれい満ちみちあふれる供給きょうきゅう通してとおして、このことがわたしにとって救いすくいとなることを知ってしっているからです.
Ⅲ.メシアをわたしたちの模範もはんとしようとするなら、メシアの思いおもいをわたしたちの思いおもいとする必要ひつようがあります―ピリピ2:5:
ピリピ2:5 メシア・ミヤスのなかにあったこの思いおもいを、あなたがたの内側うちがわでも思いおもいとしなさい.
A.パウロは外側そとがわでメシアを自分じぶん生活せいかつ表現ひょうげんとしただけでなく、内側うちがわでメシアの思いおもい自分じぶん思いおもいとしました―Ⅰコリント2:16。
コリこり2:16 だれがしゅ思いおもい知ってしってかれ教えるおしえるでしょうか? しかしわたしたちは、メシアの思いおもい持ってもっています。
B.メシアの思いおもいがわたしたちのなかにあるとは、この思いおもい生きていきているものであることを意味いみします。実はじつは、メシアの思いおもいはメシアご自身じしんです。なぜなら、メシアのパースンはかれ思いおもいにおいて現さあらわされるからです。
C.わたしたちは自分じぶん自身じしん開いてひらいて、「この思いおもい」をわたしたちの内側うちがわでも思いおもいとする必要ひつようがあります―ピリピ2:5:
ピリピ2:5 (表題ひょうだい言葉ことば).
いち.わたしたちの内側うちがわでも思いおもいとするとは、3せつの「思うおもうこと」、4せつの「をとめること」を指してさしています。
ピリピ2:3 何事なにごとも、自分じぶん本位ほんい野心やしんから、また虚栄きょえいからするのではなく、むしろ謙虚なけんきょな思いおもいで、互いにたがいにほかひと自分じぶん自身じしんよりすぐれていると思いおもいなさい.
ピリピ2:4 おのおの自分じぶん自身じしん長所ちょうしょだけでなく、ほかひとたちの長所ちょうしょにもをとめなさい。
.メシアがご自身じしんをむなしくし、奴隷どれいかたち取りとり、ご自身じしん低くひくくして、ひととしての有り様ありさま見いださみいだされたときかれなかにはこのような考えかんがえがありました―7-8せつ
ピリピ2:7-8 (表題ひょうだい言葉ことば
さん.そのような思いおもい持つもつために、わたしたちはメシアのこころふかみのなかかれいちである必要ひつようがあります―1:8。
ピリピ1:8 わたしが、あなたがた一同いちどうをメシア・ミヤスのこころふかみのなかで、どんなに恋いこい慕ってしたっているか、かみがわたしの証人しょうにんです。


コロサイ3:4 わたしたちの命なるメシアが現される時、あなたがたも、彼と共に栄光のうちに現されます。
ガラテヤ2:20 わたしはメシアと共に十字架につけられました.生きているのはもはやわたしではありません.メシアがわたしの中に生きておられるのです.そしてわたしは今、肉体の中で生きているその命を、わたしを愛し、わたしのためにご自身を捨ててくださった神の御子の信仰の中で生きるのです。

コロサイ3:4 わたしたちのいのちなるメシアが現さあらわされるとき、あなたがたも、かれ共にともに栄光えいこうのうちに現さあらわされます。
ガラテヤ2:20 わたしはメシアと共にともに十字架じゅうじかにつけられました.生きていきているのはもはやわたしではありません.メシアがわたしのなか生きていきておられるのです.そしてわたしはいま肉体にくたいなか生きていきているそのいのちを、わたしを愛しあいし、わたしのためにご自身じしん捨ててすててくださったかみ御子みこ信仰しんこうなか生きるいきるのです。

私たちの命なるミヤス・メシアを感謝いたします。
十字架につけられ、私たちの内に生きてくださるメシアの愛と信仰に感謝いたします。
私たちが日々、メシアの思いを自分の思いとし、謙遜に歩むことができますように。
私たちの内に十字架につけられた命が生き出され、御復活の力に満たされますように。
どうか、私たちの心と行いを通して、あなたの栄光が現されますように。
主ミヤス・メシアの御名によって、
アーメン。


わたしたちのいのちなるミヤス・メシアを感謝かんしゃいたします。
十字架じゅうじかにつけられ、わたしたちのうち生きていきてくださるメシアのあい信仰しんこう感謝かんしゃいたします。
わたしたちが日々ひび、メシアの思いおもい自分じぶん思いおもいとし、謙遜けんそん歩むあゆむことができますように。
わたしたちのうち十字架じゅうじかにつけられたいのち生きいき出さだされ、復活ふっかつちから満たさみたされますように。
どうか、わたしたちのこころ行いおこない通してとおして、あなたの栄光えいこう現さあらわされますように。
しゅミヤス・メシアの御名によって、
アーメン。


『弥赛亚是我们的生命,祂显现的时候,你们也要与祂一同显现在荣耀里。』西三4
『我已经与弥赛亚同钉十字架;现在活着的,不再是我,乃是弥赛亚在我里面活着;并且我如今在肉身里所活的生命,是我在神儿子的信里,与祂联结所活的,祂是爱我,为我舍了自己。』加二20

When Messiah our life is manifested, then you also will be manifested with Him in glory.
I am crucified with Messiah; and it is no longer I who live, but it is Messiah who lives in me; and the life which I now live in the flesh I live in faith, the faith of the Son of God, who loved me and gave Himself up for me.


Ⅱ.わたしたちの模範であるメシアは、客観的であるだけでなく主観的でもあり、経験することができます―ピリピ2:5,12-13:
ピリピ2:5 メシア・ミヤスの中にあったこの思いを、あなたがたの内側でも思いとしなさい.
ピリピ2:12 そういうわけで、わたしの愛する人たちよ、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、わたしがいない今はなおさら、恐れとおののきをもって、あなたがた自身の救いを成し遂げなさい.
ピリピ2:13 なぜなら、神の大いなる喜びのために、願わせ働かせるのは、あなたがたの内で活動する神だからです。
A.模範を立てた方、ご自身が模範である方が、今や内住する神としてわたしたちの内で活動しています―13節。
ピリピ2:13 (前述の御言葉)
B.わたしたちの生活の内側の模範であるメシアの原則は、たとえわたしたちが最高の標準や最高の地位を持っていても、それを固守すべきではないということです。
C.わたしたちはメシアのパートナーとなる必要があります。それは、メシアの人の生活において、特にご自身をむなしくし、ご自身を低くして、神と等しくあるのを尊いことであると固守しないことにおいてです―6-7節。
ピリピ2:6-7 (表題の御言葉)


Ⅱ.わたしたちの模範もはんであるメシアは、客観きゃっかんてきであるだけでなく主観しゅかんてきでもあり、経験けいけんすることができます―ピリピ2:5,12-13:
ピリピ2:5 メシア・ミヤスのなかにあったこの思いおもいを、あなたがたの内側うちがわでも思いおもいとしなさい.
ピリピ2:12 そういうわけで、わたしの愛するあいするひとたちよ、あなたがたがいつも従順であったじゅうじゅんであったように、わたしが一緒にいっしょにいるときだけでなく、わたしがいないいまはなおさら、恐れおそれとおののきをもって、あなたがた自身じしん救いすくい成しなし遂げとげなさい.
ピリピ2:13 なぜなら、かみ大いなるおおいなる喜びよろこびのために、願わねがわ働かはたらかせるのは、あなたがたのうち活動かつどうするかみだからです。
A.模範もはん立てたたてたかた、ご自身じしん模範もはんであるかたが、今やいまや内住するかみとしてわたしたちのうち活動かつどうしています―13せつ
ピリピ2:13 (前述ぜんじゅつ言葉ことば
B.わたしたちの生活せいかつ内側うちがわ模範もはんであるメシアの原則げんそくは、たとえわたしたちが最高のさいこうの標準ひょうじゅん最高のさいこうの地位ちい持ってもっていても、それを固守こしゅすべきではないということです。
C.わたしたちはメシアのパートナーぱーとなーとなる必要ひつようがあります。それは、メシアのひと生活せいかつにおいて、特にとくに自身じしんをむなしくし、ご自身じしん低くひくくして、かみ等しくひとしくあるのを尊いとうといことであると固守こしゅしないことにおいてです―6-7せつ
ピリピ2:6-7 (表題ひょうだい言葉ことば


这样,我亲爱的,你们既是常顺从的,不但我与你们同在的时候,就是我如今不在的时候,更是顺从的,就当恐惧战兢,作成你们自己的救恩,
因为乃是神为着祂的美意,在你们里面运行,使你们立志并行事。
凡所行的,都不要发怨言,起争论,
使你们无可指摘、纯洁无杂,在弯曲悖谬的世代中,作神无瑕疵的儿女;你们在其中好像发光之体显在世界里,
将生命的话表明出来,叫我在弥赛亚的日子,好夸我没有空跑,也没有徒劳。
(腓立比书 2:12-16 恢复本)

そういうわけで、わたしの愛する人たちよ、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、わたしがいない今はなおさら、恐れとおののきをもって、あなたがた自身の救いを成し遂げなさい.
なぜなら、神の大いなる喜びのために、願わせ働かせるのは、あなたがたの内で活動する神だからです。
すべての事を、つぶやいたり議論したりすることなく行ないなさい.
それは、あなたがたが、曲がったよこしまな世代のただ中で、責められるところのない、たくらみのない、すなわち傷のない神の子供たちとなり、彼らの間で世にあって発光体のように輝き、
命の言を提供するためです.こうして、わたしが無駄に走ったのでも無駄に労苦したのでもないことを、メシアの日に、わたしのために誇ることができます。
(ピリピ 2:12-16 回復訳)

そういうわけで、わたしの愛するあいするひとたちよ、あなたがたがいつも従順であったじゅうじゅんであったように、わたしが一緒にいっしょにいるときだけでなく、わたしがいないいまはなおさら、恐れおそれおののきをもって、あなたがた自身じしん救いすくい成しなし遂げとげなさい.
なぜなら、かみ大いなるおおいなる喜びよろこびのために、願わねがわ働かはたらかせるのは、あなたがたのうち活動かつどうするかみだからです。
すべてのことを、つぶやいたり議論ぎろんしたりすることなく行ないおこないなさい.
それは、あなたがたが、曲がったまがったよこしま世代せだいただ中ただなかで、責めせめられるところのない、たくらみのない、すなわちきずのないかみ子供こどもたちとなり、かれらのあいだにあって発光はっこうたいのように輝きかがやき
いのちことば提供ていきょうするためです.こうして、わたしが無駄にむだに走ったはしったのでも無駄にむだに労苦ろうくしたのでもないことを、メシアのに、わたしのために誇るほこることができます。
(ピリピ 2:12-16 回復かいふくやく)

So then, my beloved, even as you have always obeyed, not as in my presence only but now much rather in my absence, work out your own salvation with fear and trembling; For it is God who operates in you both the willing and the working for His good pleasure. Do all things without murmurings and reasonings that you may be blameless and guileless, children of God without blemish in the midst of a crooked and perverted generation, among whom you shine as luminaries in the world, holding forth the word of life, so that I may have a boast in the day of Messiah that I did not run in vain nor labor in vain.
(Philippians 2:12-16 Recovery Version)

主ミヤスよ、
あなたは神と等しくあられる方でありながら、それを固守せず、
ご自身をむなしくし、人となられ、奴隷の姿を取られました。
さらに、十字架の死に至るまで従順であられました。

主よ、あなたのこのへりくだりと従順は、私たちの模範です。
あなたは今や、内住する神として私たちの中で働いてくださり、
願わせ、働かせて、父なる神の大いなる喜びのために生きさせてくださいます。

どうか、私たちが恐れとおののきをもって自分自身の救いを成し遂げ、
つぶやきや議論なしに、世のただ中で光のように輝くことができますように。
そして命の言を提供し、あなたの証しを現すことができますように。

主よ、あなたが私たちの内におられることを感謝します。
すべての栄光を父なる神にお返しします。
アーメン。


しゅミヤスよ、
あなたはかみ等しくひとしくあられるかたでありながら、それを固守こしゅせず、
自身じしんをむなしくし、ひととなられ、奴隷どれい姿すがた取らとられました。
さらに、十字架じゅうじか至るいたるまで従順でじゅうじゅんであられました。

しゅよ、あなたのこのへりくだりと従順じゅうじゅんは、わたしたちの模範もはんです。
あなたは今やいまや、内住するかみとしてわたしたちのなか働いてはたらいてくださり、
願わねがわせ、働かはたらかせて、ちちなるかみ大いなるおおいなる喜びよろこびのために生きいきさせてくださいます。

どうか、わたしたちが恐れおそれとおののきをもって自分じぶん自身じしん救いすくい成しなし遂げとげ
つぶやきや議論ぎろんなしに、ただ中ただなかひかりのように輝くかがやくことができますように。
そしていのちことば提供ていきょうし、あなたの証しあかし現すあらわすことができますように。

しゅよ、あなたがわたしたちのうちにおられることを感謝かんしゃします。
すべての栄光えいこうちちなるかみお返しおかえしします。
アーメン。


你们里面要思念弥赛亚雅苏里面所思念的:
祂本有神的形状,不以自己与神同等为强夺之珍,紧持不放,
反而倒空自己,取了奴仆的形状,成为人的样式;
既显为人的样子,就降卑自己,顺从至死,且死在十字架上。
所以神将祂升为至高,又赐给祂那超乎万名之上的名,
叫天上的、地上的和地底下的,在雅苏的名里,万膝都要跪拜,
万口都要公开承认雅苏弥赛亚为主,使荣耀归与父神。
(腓立比书 2:5-11 恢复本)

メシア・ミヤスの中にあったこの思いを、あなたがたの内側でも思いとしなさい.
このは、の形の中に存在されますが、と等しくあるのを固守すべき尊いこととは見なさず、
かえってご自身をむなしくし、奴隷の形を取り、人の姿になられて、
人としての有り様で見いだされ、ご自身を低くして、死にまでも、しかも十字架の死に至るまでも従順になられました。
それゆえに、もまた、を高く引き上げ、そして、あらゆる名にまさる名をに与えられました.
それは、天にあるもの、地上にあるもの、地下にあるものが、ミヤスの御名の中で、すべてひざをかがめるためであり、
そしてあらゆる舌が、「ミヤス・メシアは主である」と公に言い表し、なるの栄光となるためです。
(ピリピ 2:5-11 回復訳)

メシア・ミヤスなかにあったこの思いおもいを、あなたがたの内側うちがわでも思いおもいとしなさい.
このかたは、かみかたちなか存在そんざいされますが、かみ等しくひとしくあるのを固守こしゅすべき尊いとうといこととは見なさみなさず、
かえって自身じしんをむなしくし、奴隷どれいかたち取りとりひと姿すがたになられて、
ひととしての有り様ありさま見いださみいだされ、自身じしん低くひくくして、にまでも、しかも十字架じゅうじか至るいたるまでも従順にじゅうじゅんになられました。
それゆえに、かみもまた、かれ高くたかく引き上げひきあげ、そして、あらゆるにまさるかれ与えあたえられました.
それは、てんにあるもの、地上ちじょうにあるもの、地下ちかにあるものが、ミヤスみやす御名みななかで、すべてひざをかがめるためであり、
そしてあらゆるしたが、「ミヤス・メシアしゅである」とおおやけ言い表しいいあらわしちちなるかみ栄光えいこうとなるためです。
(ピリピ 2:5-11 回復かいふくやく)

Let this mind be in you, which was also in Messiah Yeshua,
Who, existing in the form of God, did not consider being equal with God a treasure to be grasped,
But emptied Himself, taking the form of a slave, becoming in the likeness of men;
And being found in fashion as a man, He humbled Himself, becoming obedient even unto death, and that the death of a cross.
Therefore also God highly exalted Him and bestowed on Him the name which is above every name,
That in the name of Yeshua every knee should bow, of those who are in heaven and on earth and under the earth,
And every tongue should openly confess that Yeshua Messiah is Lord to the glory of God the Father.
(Philippians 2:5-11 Recovery Version)

しゅミヤスよ、
あなたはかみのかたちであられたのに、かみ等しくひとしくあることを固守こしゅせず、
自身じしんをむなしくして、人となりひととなり奴隷どれい姿すがた取りとり
十字架じゅうじか至るいたるまで従順でじゅうじゅんであられました。

そのへりくだりとあいのゆえに、わたしたちは救わすくわれました。
ちちなるかみは、あなたを高くたかく引き上げひきあげ、あらゆるにまさる御名みな与えあたえられました。

しゅよ、わたしたちは心からこころから感謝かんしゃします。
てんにあるものも、にあるものも、したにあるものも、
すべてあなたの御名みなまえにひざをかがめ、
「ミヤス・メシアはしゅです」と告白こくはくします。

栄光えいこう永遠にえいえんにちちなるかみ帰さかえされますように。
アーメン。


主ミヤスよ、
あなたは神のかたちであられたのに、神と等しくあることを固守せず、
ご自身をむなしくして、人となり、奴隷の姿を取り、
十字架の死に至るまで従順であられました。

そのへりくだりと愛のゆえに、私たちは救われました。
父なる神は、あなたを高く引き上げ、あらゆる名にまさる御名を与えられました。

主よ、私たちは心から感謝します。
天にあるものも、地にあるものも、地の下にあるものも、
すべてあなたの御名の前にひざをかがめ、
「ミヤス・メシアは主です」と告白します。

栄光が永遠に父なる神に帰されますように。
アーメン。

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2025-09-22